こんにちは!
ワールド極限ミステリーにて全日空857便ハイジャック事件、通称「函館ハイジャック事件」が取り上げられます。
1995年に起きたハイジャック事件で、負傷者1名・犯人は逮捕されました。
この機内でキャビンアテンダント(CA)をしていた20代の新人CA水原さんは、たった1人で犯人に立ち向かったそうです。
今回は、函館ハイジャック事件の新人CA水原さんはどんな人物なのか?現在やプロフィールなどを調べてみました!
※目次から好きな項目へスキップできます
早速見ていきましょう!
全日空857便 函館ハイジャック事件の概要
1995年6月21日、全日空857便函館ハイジャック事件が起きました。
これは奇しくもあの地下鉄サリン事件が起きた3か月後の事件でした。
羽田空有港から函館に向かう乗客365名を乗せた全日空857便のジャンボジェット機が、何者かにより16時間に渡り占拠されます。
犯人は”コバヤシ サブロウ”と名乗り、
「自分はオウム真理教の信者。サリンとプラスチック爆弾を持っている」
と言い乗客・乗員を脅迫します。
サリンと見られる液体入りの袋をドライバーで突き刺すまねをし、給油して東京に戻るよう要求。
その目的は、オウム真理教の教祖・麻原彰晃を釈放しろというものでした。
常に爆弾が入っているという袋を身に着けていたといいます。
犯人はキャビンアテンダントに向けて、乗客の目と口をテープでふさげと命令。
さらに犯人は「通路動いた人は前に出てこい、懲罰するから」と言っていたそう。
これを聞いた加藤登紀子さんら乗客たちは縮み上がったと話しています。
警察は突入を決意
当時北海道警察本部長だった伊達興治さんは「これが自分にとって最後の事件になる」と考え、道警機動隊員とSATを強行突入させることを決断。
突入のために、新千歳空港では同型機を使った突入シミュレーションも繰り返されました。
365名の乗客の命がかかっている重圧を物語っていますね。
犯人はニュースを確認、テレビ局に電話をしてきます。
「オウムと名乗った覚えはない」と。
最初と言っていることが違っており、これを聞いた道警の本部長は”いける”と確信。
給油を装った警察が飛行機の下に入り込むことに成功。
これにより、テレビ局にはこう通達がされました。
「飛行機の下の部分、タイヤあたりを映さないように。特に生中継のカメラでは映すな」
犯人はニュースをチェックしていたことから、警察が手を打ちます。
そこから生中継のカメラはコックピットだけを映すようになりました。
突入から確保
警察は機体の下からはしごを使い機内に侵入。
突入した機動隊員は犯人が通路側に向かって走ってくるのが分かり、犯人を広報に逃さないように通路を塞ぐ形で対峙します。
それでも向かってくる犯人に対し、犯人の腹部付近を制圧し取り押さえました。
突入から犯人逮捕までは、約数十秒という逮捕劇だったようです。
先頭を切って突入した機動隊員・穴澤勝史さんは、突入する前に後ろの機動隊員へ
「もし私になにかあっても、自分に構わず犯人に対応しろ」
と話したといいます。
勇敢な突入により犯人はすぐ確保され、乗客365人は1人が負傷したものの全員無事という結果でこの事件は幕を閉じました。
このハイジャック機への突入は、日本の警察史上初のことだったといいかなり慎重な対応だったようです。
加藤登紀子らも協力
ハイジャックの乗客にはシンガーソングライターの加藤登紀子さんやバックバンドメンバーの告井延隆さんらも乗っていました。
加藤登紀子さんのバックバンドメンバー告井延隆さんは携帯電話を持っており、警察への情報提供を決意します。
スポーツ新聞に携帯電話を包んでトイレに入るふりをして警察へ電話。
犯人の姿を見ると、服装は違うものの履いている靴が一緒なことに気づきます。
このことから警察は、服を着替え複数犯を装った単独犯と判断。
犯人の特徴や状態、機内の情報などを警察に伝えたことにより警察も突入の決断を可能にしました。
その後、北海道警察本部長から告井延隆さんへ感謝状が贈られています。
犯人と動機
逮捕された犯人は、オウム真理教とは全く関係のない当時53歳の銀行マンでした。
東洋信託銀行(三菱UFJ信託銀行)の男性行員でエリート銀行マンだったそうです。
犯人が持っていたのは1本のマイナスドライバーと、サリンに見せかけた水、偽のプラスチック爆弾を入れた袋のみ。
犯人の動機は、
「愛人との2重生活などで経済的に厳しくなり、麻原教祖を道連れに自殺することで愛人に保険金を残そうとした」
ということでした。
身勝手な犯行から事件から2年後の1997年に、懲役8年の判決。
弁護側が控訴しますが、1999年に1審判決(懲役8年)を破棄し、犯人に懲役10年の判決を言い渡しました。
その後上告は行なわれず、判決が確定。
さらに犯人には全日空から民事訴訟を起こされ、請求額通りの5300万円の損害賠償が命じられています。
その後
ちなみに、このときの機体は退役したものの、「NH857便」という便名は今も全日空で使用され、羽田空港発ノイバイ国際空港(ベトナム・ハノイ)行きの便となっています。
函館ハイジャック事件で間違い電話
また、当時テレビ中継をしていた札幌テレビではなんの関係もない男性へ間違い電話をかけていました。
函館の空港事務所との電話が繋がっていると日本テレビからきた電話を受け取った際、間違い電話により知らない男性が出てしまい放送事故になっています。
相手の男性も「は?」となっており、状況が理解できなかったことでしょう。
当時はかなり緊迫した状況だったと思いますが、今見ればこのやりとりが面白く感じますね笑
新人の20代CAが犯人に立ち向かった!
この函館ハイジャック事件が起きた際、当然ですが機内にはキャビンアテンダント搭乗していました。
その中には、まだ新人CAである当時20代の水原さんという方が857便を担当していました。
犯人は、CAへ乗客の目や口をテープで覆えと命令しCAは従うしかなく、その後も脅迫を繰り返します。
しかし、新人CA水原さんは新人ながらもキャビンアテンダントの職務として乗客の命を背負い、1人で犯人に立ち向かったそうです!
というのも、乗客が命令を無視した時に犯人が持っていたドライバーで乗客が負傷。
するとCA水原さんは
「お客様の苛立ち重々承知いたしますが、どうかこの場はお許し頂けますでしょうか」
と言い頭を下げ、犯人に食らいつきました。
緊張状態であるにも関わらず、若いキャビンアテンダントが獰猛な犯人に対し立ち向かうことができる事自体すごく勇敢な行動ですよね。
乗客の命をまもるためといえど女性でありながらもそう簡単にできることではありませんね。
新人の20代CA・水原のプロフィールや現在!
この新人CAの水原さんという方は一体何者なのでしょうか?
名前:水原
年齢:49~57歳(当時から計算)
CAの水原さんを調べてみたのですが、顔画像や現在の職業など詳しい情報がネット上には全くありませんでした。。(なぜだろう..)
英雄のような人物であり事件で生きて返ってこれたはずですから、少なくとも名前やプロフィールは公開されてもおかしくありませんよね。
考えられる理由としては、プライベート・今後の影響を考えて公表しなかったのかもしれません。
メディアから注目を受け、顔写真や名前などが知られるのは人によっては嫌と感じる人もいますからね。
1995年当時の年齢が20代ということですから、現在は49~57歳という計算になります。
現在もCAをしているのかはわかっていませんが、予想となりますがCAは引退されてるのではと思います。
しかし、CAには年齢制限はなく、やる気と体力次第では60歳まで働くことも可能だそう。
キャビンアテンダントで飛び続け定年を迎えた方もいるようなので、もしかすると現在も続けいているかもしれませんね。
また、結婚についてですが4,50代ですから結婚はしてそうですね。
お子さんについても情報はありません。
事件の犯人
この全日空857便函館ハイジャック事件の犯人は、当時53歳の銀行マンでした。
この男性行員の名前は九津見文雄という男。
この犯人の現在や写真、動機についてはこちら
頭のいいエリート銀行マンがなぜ事件を起こしたのでしょうか。