こんにちは。
連続企業爆破事件に関与したとして重要指名手配犯だった「桐島聡(きりしま さとし)」が逮捕されたと報道がありました。
桐島聡容疑者は、1975年に指名手配されて以降47年間も逃走をし警察から逃れていました。
逮捕されたのは、神奈川県内の病院にて本名を名乗ったからでした。
でもなぜ自ら桐島聡を名乗ったのか、なぜ今なのか?現在まで逮捕されなかった理由など気になったので見ていこうと思います。
桐島聡が逮捕!病院で自ら名乗り出る
2024年1月26日、重要指名手配犯の、桐島聡が逮捕されました。
1974年から75年にかけて起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)とみられる男が、警視庁公安部に身柄を確保され、事情を聴かれていることがわかりました。
捜査関係者によりますと、桐島容疑者(70)とみられる男はこちらの病院に偽名で入院していて、警視庁公安部は桐島容疑者と特定する作業を進めるとともに、男から事情を聴いています。
桐島容疑者は1975年に、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていて50年近く逃亡していました。
桐島聡は、1975年に指名手配をされてから2024年までの47年間、逃走を続けていましたが、ようやく逮捕されました。
約半世紀もの間逃げ続けていたというため、指名手配犯の中でかなり長いんじゃ?と思って調べてみると、やっぱりダントツで逃走歴が長いようです。
桐島容疑者は指名手配から既に48年が経過しており、昨年11月時点の重要指名手配被疑者14人のうち、逃亡期間が最長となっていた。
重要指名手配犯が14人いるうちの最長ということで、警察も今か!?と驚いたことでしょうね。
それにしても、これだけ逃げ続けていたら自分だったらビクビクして周りの顔を伺いながら生きていくのも嫌になる人生だったと思いますね。
まぁ、47年にもなるとその生活に慣れすぎて指名手配前の普段通りの挙動になりそうですが。。
いずれにしても47年かかった今、指名手配犯が逮捕されたのは、日本国にとってはまた1つ不安が消え安心に近寄ったという感じでしょうかね。
桐島聡はなぜ自ら名乗り出頭を?なぜ今なの?
桐島聡が逮捕されたのは、自ら「桐島聡」を名乗ったからでした。
どのようにわかったのかだが、桐島容疑者を名乗る男は、末期がんを患い、神奈川県内の病院で偽名を使って入院していた。
そして、男は突然、本名を名乗る趣旨の発言をし、桐島聡であることを語ったという。
桐島聡は、末期がんを患っており、神奈川県の病院に偽名を使って通っていたようで、突然本名を名乗る趣旨の発言をしたとのこと。
いわゆる出頭ですね。
出頭と自首の違い
出頭とは捜査機関(警察、検察)・裁判所・役所などに自ら出向くことをいいます。
他方で、自首とは、犯罪を犯した者が、事件が発覚していない又は事件は発覚しているが犯人が特定されていない段階で自発的に捜査機関に名乗り出てその処分を求める行為をいいます。
つまり事件が「発覚する前・犯人特定前なのか」どうかが重要ということですね。
今回の件は、事件が起きて犯人が特定され、名乗り出たため出頭になります。
ちなみに、出頭であれば、「減刑はなし(ただし量刑判断で斟酌される可能性はあり)」とのこと。
多くの場合は出頭では量刑が軽くなることは無いみたいで、今回の件は逃走期間が長いことから、減刑はなさそうですね。
ではなぜ桐島聡は出頭をしたのかが気になります。
なぜ桐島聡は出頭をしたのか?なぜ今なのか?
桐島聡が出頭した理由は公表されていませんが、いくつか考えられます。
- 罪の意識を感じた
- 余生に疑問を抱いた
- 震災で生きる意味を見つめ直した
- 事件に区切りがつけたかった
出頭した理由が公表されていないため、指名手配→出頭のように似たような事例からその理由を考察してみます。
今回の桐島聡の出頭と似たような事例として2011年の、「指名手配後17年間も逃走した平田信の出頭」が過去にもありました。
元オウム真理教幹部の平田信容疑者は、オウム真理教事件実行犯の1人として、1955年に爆発物取締罰則違反で特別指名手配され、2011年12月31日に警視庁に出頭し、17年の逃走の末逮捕されました。
このとき出頭した理由は、「震災により逃げるだけの生活に強い罪の意識を感じたから」でした。
精神科医が分析した経緯と理由を簡単にまとめると、
- 指名手配され逃走し、元信者の下で匿ってもらう
- 事件に区切りがつけたかった
- 飼っていた溺愛したうさぎが死んだ
- オウム真理教の信仰しなくなった
- 匿ってくれる周りの人に迷惑がかかるから
- 自分の生きる意味に罪の意識を感じた
というものでした。
平田信は、ただ逃亡するために生きるという生活で、一日でも長く逃亡するのが生きる理由でした。
しかし逃走し警察から逃げる生活で、そんな中起きた東日本大震災。
震災で見た「家族を養う」「地域社会のために尽くす」というもっと明確な目的のために生きてきた人たちが、一瞬のあの震災や津波で命や生活を失ってしまった光景。
自分が生きる意味も失っていた中で起きた震災により、
「3月11日の東日本大震災で不条理なことを多く見てきて、自身の立場を改めて考え直した」
というのが出頭の理由だったようです。
逃走生活の中で、事件に区切りがつけたいと思うようになり、溺愛していたうさぎが死んだり、周りの迷惑を考えたり。
そして震災により亡くなる人をみて、自分の罪の意識が強くなり、こういった思いが積み重なった結果、出頭に至ったというのです。
こうした事由を見てみると、1月1日に石川県にて震災が起きた点も似ていますね。
話がそれてしまいましたが、つまり何が言いたいかと言うと、
桐島聡が出頭した理由として考えられるのは、
「事件に区切りがつけたいと思っていたり、逃亡生活の中で生きる意味を見直したり、70歳の年齢から余生を考えたから」
と予想されるのではないでしょうか。
なぜこれまで捕まらなかったのか?
桐島聡が、指名手配から47年もの間、逮捕されず逃走を続けられたのか?
これについては、
- 人目につかないように匿ってもらっていた
- 時間が経過しすぎて顔が変わりすぎたから
- 情報が少なすぎた
などが考えられます。
桐島聡が関与した事件が起こったのは、1975年。
過去の多くの例を見るに、事件直後は人目につかないよう、人に匿ってもらっていること、1人で隠れることが多いようです。
過去には、無人島で生活したり、空き家の屋根裏で隠れ生活したりなどが実際にありました。
また、事件から47年も経っていることから、容疑者も年齢を重ね顔が変わっていることは容易に想像できますよね。
いくら人とは言え、15年も経てば顔は加齢によりかなり変わってしまいます。
捜査されていたとはいえ、犯人の手がかりとなるのは、指名手配の顔画像くらいしかなく、これといった手がかりが少ない事から、日本・世界から犯人を探すのは困難だったでしょう。
さらに偽名を使っていたことからも、顔くらいでしか判断しようがないため、15年ほど経ってからは、見分けること・桐島聡と判断することは難しかったと考えられます。
また、協力者がいればさらに発見が難しくなることでしょう。
こうした理由から桐島聡は、47年間も逮捕されずに逃げ延びていたと考えられますね。
まとめ
今回は、指名手配犯の桐島聡の出頭した理由や逮捕されなかった理由について見てきました。
- 自ら出頭した理由は、・罪の意識を感じた・余生に疑問を抱いた・震災で生きる意味を見つめ直した・事件に区切りがつけたかった、などが考えられる。
- 逮捕されなかったのは、・人目につかないように匿ってもらっていた・時間が経過しすぎて顔が変わりすぎたから・情報が少なすぎた、などが考えられる。
何はともあれ逮捕されてよかったですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。