こんにちは!
歌舞伎俳優の中村吉右衛門(なかむらきちえもん) (本名:波野辰次郎)さんが77歳で亡くなったことが12月1日にわかりました。
国から認められた人だけに贈られる、重要無形文化財保持者いわゆる人間国宝だっただけに悲しみが広がっています。
中村吉右衛門さんの歌舞伎役者の人生から人間国宝から死去までをまとめます。
中村吉右衛門心臓発作で死去
もう一度、舞台に復帰していただきたかった…。ホテルで倒れる数日前、歌舞伎座で『楼門五三桐』石川五右衛門を演じたお姿を見られたことがせめてもの救い。
心よりご冥福をお祈り致します。
中村吉右衛門さん死去 77歳 歌舞伎俳優 文化功労者・人間国宝 | 毎日新聞 https://t.co/Bfo2X8bVFQ
— 乙武 洋匡💉💉 (@h_ototake) December 1, 2021
歌舞伎俳優の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの たつじろう)さんが死去したことが1日、わかった。77歳だった。東京都出身。今年3月に心臓発作で救急搬送され、療養中だった。
引用:news.yahoo.co.jp/articles/
プロフィール
名前:中村吉右衛門(なかむらきちえもん)
本名:波野辰次郎(なみのたつじろう)
生年月日:1944年5月22日
没年月日:2021年11月28日
年齢:77歳(享年)
出身地:東京都
身長:178㎝
体重:不明
職業:俳優
家族:父 松本 白鸚
母 藤間 正子
兄 藤間 昭暁
妻 波野 知佐
中村吉右衛門さんは、初代松本白鸚の次男として生まれ初代吉右衛門の養子となると、1948年の4歳の時に「中村萬之助」を名乗り初舞台をふみました。
1966年に二代目中村吉右衛門を襲名。
東宝時代には主演女優の相手役をつとめ現代劇などでも活躍しましたが、歌舞伎に打ち込みたいと松竹に戻り再び歌舞伎を始めました。
人間国宝でもあった中村吉右衛門さんが亡くなったことはまた一人偉大な人がこの世を去ってしまったと非常に残念です。
以前にも心肺停止するなど病気がちだったそうで、今回の死亡理由が心臓発作ということで体が弱っていたことでしょう。
中村吉右衛門さんは、2021年3月28日に都内のホテルで体調不良を訴えて救急搬送されています。
その時の病気の病状は急性心臓発作で、搬送時には心肺停止の状態だったそうです。
歌舞伎俳優 中村吉右衛門さん倒れる、搬送時心肺停止の状態|BIGLOBEニュース https://t.co/98hTwEPlRB
関係者によると、28日20時30分ごろ、東京・港区にあるホテルのレストランで倒れ、病院に救急搬送されたという。 pic.twitter.com/yfzbVNuEo1
— BIGLOBEニュース (@shunkannews) March 29, 2021
以前からも体調が良くないことから、現在の体調を気にし心配する声も多くありました。
この頃から「もしかしたら...」と感じていた人もいたかもしれませんね。
それにしても77歳。はやすぎます。。。
中村吉右衛門の鬼平犯科帳が人気に
中村吉右衛門さんはテレビドラマでは1980年に時代劇「斬り捨て御免!」、1986年にはNHK時代劇「武蔵坊弁慶」で歌舞伎の当たり役の弁慶を演じます。
そして人気ドラマ「鬼平犯科帳」を1989年から2001年までの12年間、計9シリーズで長谷川平蔵役をつとめ、単発放送でも演じ150本も出演しました。
この中村吉右衛門さんの殺陣や演技に感動を覚えた人も多いことでしょう。
テレビドラマの出演歴は
- 忠臣蔵の人々(1956年
- 大助捕物帖(1958年
- 神々の愛でし子1959年
- 野菊の墓1959年
- くちづけ(1962年
- 鎖国(1963年
- 約束(1964年
- シオノギテレビ劇場 さぶ(1966年
- 文五捕物絵図(1968年
- ながい坂(1969年
- 鬼平犯科帳(1971-1972年
- 右門捕物帖(1969 - 1970年
- 斬り捨て御免!(1980 - 1982年
- 劇画ドラマ「項羽と劉邦」(1983年
- 武蔵坊弁慶(1986年
- 大忠臣蔵(1989年
- 鬼平犯科帳(1989 - 2016年
- 荒木又右衛門 決戦・鍵屋の辻(1990年
- 忠臣蔵 風の巻・雲の巻(1991年
- 忠臣蔵〜決断の時(2003年
テレビドラマだけでもこれだけ出演されていました。
とくに鬼平犯科帳での演技から歌舞伎に興味を持ったというかたを多く見かけました。
とても鬼平がすきでした カッコよくて義理と人情に溢れたリーダー像を魅せて頂けました 粋でキレのよい平蔵が強く強く心に残っております ありがとうございました 御冥福をお祈り申し上げます
— チョコマシュマロ (@4OblvV2SebF2cIg) December 1, 2021
鬼平が好きでした。歌舞伎に興味をもったきっかけをくれました。
お悔やみ申し上げます。播磨屋さん。— 疲れてるkinsenka (@kinsenka0171) December 1, 2021
中村吉右衛門が人間国宝に認定
2011年(平成23年)には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2017年には文化功労者になりました。
人間国宝になれる人というのは、工芸技術などの「無形のわざ」を高度に体得している人や団体が認定されるもので、中村吉右衛門さんはこれに値するほどの技量の持ち主だったということ。
こちらは人間国宝が決まったときの会見の様子です。
素晴らしいですよね。
歌舞伎の「わざ」については詳しくはわからないのですが、伝統を受け継ぐその迫力や細かい技術が桁違いなのでしょうね。
中村吉右衛門さんが亡くなる1年前に行われた公演「須磨浦」の様子です。
人間国宝にも選ばれる人の「わざ」の迫力はすごいのですね。
中村吉右衛門の死去に対するファンや世間の反応
- あまりにショックで言葉がでません。歌舞伎役者さんの中で一番好きでした。重厚で古典歌舞伎を大切にし、何十年も前の芝居を掘り起し歌舞伎作家としても尽力された方でした。
コロナ禍で、この2年東京へ足を踏み入れていませんが、歌舞伎座に行くなら、吉右衛門さんの舞台から、と決めていました。昨年夏の配信、一人舞台「須磨浦」は見事でした。
惜しい、ただただ惜しいです - 今年1月に体調不良の報道がありとても心配し以来今日のこのニュースが来ないことを願ってきました。
テレビでもその役が実在するとしか思えない重厚で実のある演技で境地を開かれました。
余人をもって代えがたい人とはこの方のことを言うのだと思います。
心よりご冥福をお祈りします。
私は新大型時代劇『武蔵坊弁慶』が忘れられません。私にとっての弁慶は吉右衛門さんの弁慶でした。合掌。 - 吉右衛門さんの声は絶品でした。
あの声が聴けないのは、残念で淋しいです。
特に弁慶は、吉右衛門さんのはまり役で、大変好きでした。
重厚な声。
若い俳優の手本がいなくなりました。
歌舞伎役者の中では、一番好きでした。
本当に惜しい。あの声が生で聴けないのは。 - 鬼平素晴らしかった(>_<)!もう、こんな素晴らしい鬼平には会えないでしょう。ありがとうございました(>_<)ご冥福をお祈りします
- また一人、名優が三途の川を渡ってしまった・・・ 鬼平犯科帳非常に好きでした。 謹んでご冥福をお祈り致します。
- また一人大事な方がお亡くなりに…… 鬼平のべらんめえ調の口調が懐かしい ご冥福をお祈り申し上げます。
- 鬼平はいろんな方が演られてたみたいだけどやはりこの方しかピンとこなかったなぁ。
これから先もそうかも知れない。
77歳かぁ、残念としか言いようがない。自分としては珍しく結構なショックだ。
本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
多くの人を魅了する演技、そして感動をありがとうございました。