こんにちは!
コロナの影響でオリンピックが延期され来年2021年に開催予定ですが、東京オリンピックといえば1964年にも開催されましたよね。
東京パラリンピックで尽力したのがスポーツとは全く無縁である医師の「中村裕」さんという方で日本パラリンピックの父とも呼ばれています。
そんな中村裕さんがテレビ番組「アンビリバボー」にて取り上げられます。
ということで今回は、
中村裕医師とは誰なのか?経歴や生い立ち、
中村裕さんの息子(子供)や家族の現在、
早逝の理由や死因などについて調べてみました。
中村裕の息子(子供)や家族の妻の今現在は?
出典:TOKYO2020
中村裕さんはご結婚されており子供もおられます。
中村裕さんの妻は、中村廣子(なかむらひろこ)さんという方。
中村廣子さんは現在81歳でご存命でした。
中村裕さんの息子さんは3人いらっしゃいます。
そのひとり長男の「中村太郎」さん
出典:TOKYO2020
中村太郎さんは現在60歳で整形外科医をしていました。
中村太郎さんが現在勤務する病院は、父の中村裕さんが開業された「大分中村病院」です。
さらに、父を受け継ぐようにパラリンピックの日本代表チームドクターもされています。
しかし、太郎さんは父とはスタイルが違うと話しています。
父のときは障がい者スポーツの草創期だったので、医師が監督・コーチであり、選手の選考からトレーニングまでやる時代でした。今は医師がコーチをする時代ではないですし、かつてはドーピングコントロールやクラス分けも医師の仕事だったんですが、こちらも専門家がいます。私は医師として関わりたい。いかに健康に、安全にプレーを続けられるかということ。そこに注力していきたいです。
中村裕の早逝の理由や死因は?
中村裕さんは57歳という若さで亡くなってしまいました。
医師である中村裕さんですがその死因は肝不全でした。
家族や周りの人も彼の訃報を聞くとしばらく耳を疑ったそうで家族はその後3~4年もショックで何も集中できなかったそうです。
昨日まで元気でいた人が急に亡くなったことを考えると、そのくらいのショックになりますよね。
中村裕(医師)の経歴や生い立ち
出典:毎日新聞
・名前 中村裕(なかむらゆたか)
・生年月日 1927年3月30日ー1984年7月23日
・年齢 57歳没
・職業 医師
・出身地 大分県別府市
大分県別府市出身。九州大学医学部卒業後、九州大学病院整形外科に医師として勤務。
1960年にリハビリ研究のためイギリスに医学留学。
1966年、大分中村病院を設立。
1965年に障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設。
1964年の東京パラリンピックで選手団長を務め、第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催に尽力しました。
1975年吉川英治文化賞を受賞。
なぜ日本パラリンピックの父と呼ばれるようになった理由は?
中村裕さんが日本パラリンピックの父と呼ばれるようになったのは、1960年33歳のころにイギリスに医学留学したときに感じたある違和感。
身体障碍者の復帰率のおおきな違いに気づきます。
日本の「手術後も寝たきり」に対してイギリスでは「リハビリ」を行う。
そのため身体障害者のためにパラリンピック開催のために医師ながら尽力し、見事に開催することに成功しました。