こんにちは!
世界仰天ニュースにて資産20億円を残し孤独に亡くなった「大平吉郎」さんという方が取り上げられます。
92歳で亡くなった大平吉郎さんは資産20億円にものぼっていたことで、一体どんな人物だったのか気になりますね!
今回は、
- 大平吉郎さんとは何者だったのか?
- 大平吉郎の職業や家族や大学
- 大平吉郎の遺産の20億円の行方
- 大平吉郎の資産は誰が相続をしたのか?
など気になったので調べてみました!
大平吉郎さんとは何者?職業は教師で資産家!
大平吉郎さんは岩手県盛岡市に住んでいた資産家で、2014年3月に92歳という年齢で亡くなりました。
名前:大平吉郎
生年月日:1922年
年齢:没92歳(2014年3月17日深夜)
職業:高校教師
大平吉郎さんは岩手県盛岡市に住んでいて、盛岡市の中心部などに多くの土地を持っていた大地主でした。
盛岡市といえば、2023年1月に発表された米紙ニューヨーク・タイムズの「2023年に行くべき52カ所」にロンドンに続いて2番目に選ばれていましたね。
盛岡市の人口推移
1990年 | 292,632人 |
2000年 | 302,857人 |
2010年 | 298,348人 |
2020年 | 289,731人 |
これだけ人気であり、栄えている都市である盛岡市の中心部に多くの土地を持っていたという大平吉郎さん。
都市の中心部の土地を持っていたということは、おそらく先祖の時代から土地を所有しており、その土地を大平吉郎さんが受け継いだということだったのでしょう。
いくらお金持ちでも都市部の土地を買い漁ることは容易ではないですからね。
そのため大平吉郎さんは大地主でしたからかなりの収入があったのは間違いありませんね。
出身大学は早稲田大学!
大平吉郎さんの出身大学は早稲田大学です。
大平吉郎さんが大学に通っていた時期がいつかわわかりませんでしたが、20歳前後だとしたら1940年頃になります。
また、1960年前後には高校教師をしていたことがわかっています。
(引用:朝日新聞)高校教師だった大平吉郎さん。1960年前後に同僚が撮影していた=盛岡市、知人提供
昔はお金に余裕がなければ行けない存在だった大学ですし、頭脳も必要だったため、大平吉郎さん努力家だったことは間違いないでしょう。
高校教師だったことからも、頭はかなり良かったでしょうね。
高校では数学を教えていました。
よく大地主って何もしなくてもお金がもらえてずるい、という話を聞きますが大平吉郎さんは努力家でもあったんですね。
大平吉郎の家族│姉は先に死別
大平吉郎さんは92歳という高齢にも関わらず1人で暮らしており、孤独の中亡くなっています。
大平吉郎さんの家族はというと、結婚しておらず子供もいなく、全く身寄りがいませんでした。
ただ、それまで同居していた姉はいたようですが、お姉さんも結婚しておらず先に亡くなっていました。
ですので、本当に家族という家族もおらず、まったくの1人で孤独だった事がわかりますね。
大平吉郎さんの葬儀は、盛岡市内に住む当時70代の不動産業者が葬儀を取り仕切ました。
いたとしても、遠い親戚(遠戚)・生活する上で関わる人・世話をしてくれていた近所の男性・遺産整理の相談をしていた露崎二三男さんなど、くらいでした。
大平吉郎さんが住んでいた自宅についてはこちら
大平吉郎の遺産の20億円の行方
大平吉郎さんは大地主だったため何もしなくても莫大な収入があったはず。
そんな「資産」について見ていきます。
資産は20億円
大平吉郎さんには資産が約20億円という莫大な遺産がありました。
なぜこんなにあるのかというと、もちろん大地主だからというのもありますが、
- 不動産
- 銀行口座に5億円の現金
- 土蔵から8億円の現金
- 宝飾品
など親や先祖なども残したであろうものが、積もりに積もって20億円という遺産になっていました。
資産が国のものになるのは嫌だった
大平吉郎さんは生前から遺産整理を行政書士に相談していましたが、常に「役所が嫌い」と話していたといいます。
20億もある遺産が国のものになるのが嫌で、遺産は財団法人を建ててそこで財産管理をすることを望んでいたようです。
「遺産で財団法人を設立し、財産を管理させることを大平さんは望んでいました。そして、立派な邸宅や自宅の庭園、お姉さんが所有していた絵画などを一般公開したかったようです。また、母校の早稲田大学へ奨学金の寄付も望んでいました」
引用:www.moneypost.jp/
自宅や庭園、姉の絵画などを財団として一般公開し、国には納めたくなかった大平吉郎さん。
遺言書は書いていた!しかし...
実は遺産整理の相談を受けた行政書士の露崎さんは、大平さんと相談して2012年8月に財団設立などを盛り込んだ遺言書案を作っていました。
つまり遺言書は作っていたのです。
しかし、大平さんは「95歳になったら署名押印をする」と話し、遺言書を完成させず、そのまま92歳でこの世を去ってしまったのです。
そうして相続先がわからなくなり、残ってしまった遺産を相続する人がいませんでしたが、その行方はどうなったのでしょうか。
大平吉郎の資産は誰が相続をしたのか?
大平吉郎さんの遺産の相続の行方を示す「遺言書」は書いていませんでした。
そのため、20億円という莫大な遺産の相続は裁判によって決めることになってしまいます。
子供もおらず、近しい人間もいなかった大平吉郎さん。
そこに特別縁故者として、遺産相続を名乗り出たのは3名。
- 遠い親戚女性2人
- 土地の管理を任された不動産業者の家族
- よく世話に来ていた近隣男性
それぞれ、遺産の使い道についてこう主張しました。
不動産業者:「自宅を残し財産の一部を大学に寄付する」
親戚女性:「家や庭を歴史的文化財として一般公開し家の名を残す」
近隣男性:「不動産分与があれば町内会で活かしたい」
そうして遺産の相続について裁判が開かれました。
業者の娘が遺言書を自作していた
大平吉郎さんが土地の管理を任せていた不動産業者の家族の娘が、遺産を巡って自作の「遺言書」を有効と認めるよう盛岡家裁に申し立てました。
その内容は、
大平吉郎さんが亡くなる17時間前に、業者を遺言執行者として財団法人を設け、財産は親類に譲らないなどと述べた
という内容でした。
んー聞いただけでは、さすがに無理があるんじゃないか?と思ってしまいましたが、これってどうなんでしょうね?
認められるのか?と疑問に思いましたが、そんな裁判が行なわれます。
裁判の結果
裁判ではその相続先に注目が集まりました。
結果は、相続を申し出た3名のいずれでもなく、「裁判所が選任した弁護士」が財産管理人となり、国庫に返納するために遺産を次々と現金化されて行ってしまいました。
そうつまり最悪な結末となってしまったのです。
これはもう国が「我々のものだ!」と言っているようにしか取れませんね。。
大平吉郎さんは不動産も所持しており、多くの土地を貸していて、借りていた人とは昔から信頼関係を築いていました。
そんな土地から自宅などなにから全てを、どんどん売り払い現金化されていってしまいました。
死去前から相談に乗っていた露崎さんは、すべてを知っており大平吉郎さんの気持ちもわかっていたがために、この現状に後悔していました。
「裁判所から選任された弁護士が財産管理人になり、国庫に返納するために遺産を次々と現金化しました。大平さんは多くの土地を貸しており、借地人とは昔からの信頼関係で安い地代にしていたのですが、その信頼関係も壊され……。大平さんが一般公開を望んでいた自宅も取り壊され、本人の意思に背く財産処分になったことがつくづく無念です」(露崎氏)
遺言書を残すだけでこの状況を回避できたのは事実なため、仕方ないのかもしれませんが、悔やんでも悔やみきれない残念な結果になってしまいました。
まとめ
今回は遺産20億を残した資産家・大平吉郎さんについて見てきました。
- 大平吉郎は岩手県盛岡市にいくつも土地を持つ大地主
- 大平吉郎は資産家で、資産は20億円
- 大平吉郎は92歳で死去
- 大平吉郎の家族はおらず、姉も死別していた
- 大平吉郎の資産は、裁判所選任の弁護士により、どんどん現金化された
いくら多くの遺産があれど、しっかりと手続きや遺言を残さないとこうなってしまうという、勉強になる事例だったと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。