こんにちは。
世界仰天ニュースで、2005年4月25日に発生した福知山線脱線事故が取り上げられます。
この事故では運転手の速度超過の運転により死者107人を出した悲惨な事故でした。
この時の運転手は高見隆二郎(たかみりゅうじろう)という男性。
今回は、高見隆二郎がどんな人物だったのか経歴や生い立ち、死因や学生時代について見ていきます。
高見隆二郎のwiki経歴と生い立ち【顔画像】
名前:高見隆二郎
読み方:たかみりゅうじろう
生年月日:1982年
年齢:23歳
出身:大阪府大東市
高見隆二郎は幼少期から真面目で優しい好青年だったそうで、仕事には熱心に取り組んでいました。
家族曰く「小さい頃から電車の運転士に憧れていた」そうで、運転しになったことを誇りに思っていたようです。
高見隆二郎の友人も彼を「超がつくほど真面目」と話していることからも、脱線事故をわざと起こすような人物ではないことがわかります。
高校を卒業後(2000年)にJR西日本に入社し、頭が良かったこともあり運転士試験も好成績を残していました。
高見隆二郎の学生時代│出身高校
高見隆二郎の学生時代も真面目であり学業成績も優秀で、5段階評価でも4以上ばかりだったようです。
中学時代はバスケ部で、レギュラー選手ではなかったものの休まず参加していました。
高校についてですが、明確な出身高校はわかりませんでしたが、大阪府立の高校に通っていたそうです。
高校ではアルバイトもしながらも学業をこなし、彼女もいたそうです。
学生生活はこれ以上無いくらい順調のように見えますね。
高見隆二郎の死因
高見隆二郎さんは事故により死去されています。
司法解剖によると、死因は腹部強打による圧死だったようです。
福知山脱線事故では乗客だけではなく、高見隆二郎運転士も亡くなっています。司法解剖の結果、高見運転士の死因は腹部強打による圧死でした。
引用:https://wondia.net/
また、遺体は駐車場の壁と運転席に挟まれて血だらけだったとの情報もありました。
高見運転士の遺体は腰や太ももが運転台と壁に挟まれていた。
現場のカーブで急に減速したのだろうか。
右手でブレーキとみられるレバーを握り締め、
血だらけで息絶えていたという。
運転士だったため事故の衝撃をもろに受けたことが容易に想像できますね。
かなりの衝撃だったはずですが、ブレーキレバーを握りしめた状態で見つかったことから、最後までブレーキを掛け続けなきゃという強烈な思考の現れなのかもしれません。
まとめ
今回は福知山線脱線事故の運転士だった高見隆二郎の経歴や生い立ちについて見てきました。
- 福知山線脱線事故の運転手は高見隆二郎!
- 高見隆二郎は超がつくほど真面目で優しい好青年だった
- 高見隆二郎の死因は腹部強打による圧死
- 高見隆二郎の出身高校は、大阪府立の高校
最後までお読みいただきありがとうございました。