こんにちは!
ワールド極限ミステリーにて全日空857便ハイジャック事件、通称「函館ハイジャック事件」が取り上げられます。
1995年に起きたハイジャック事件で、負傷者1名・犯人は逮捕されました。
この事件は小林三郎を名乗っていましたが、犯人の実名は九津見文雄という男。
今回は、函館ハイジャック事件の真相・概要、犯人・九津見文雄とはどんな人物なのか?現在や顔画像、プロフィールなどを調べてみました!
※気になるところまで目次でスキップして見れます!
早速見ていきましょう!
函館ハイジャック事件の犯人・九津見文雄の現在や顔画像!
九津見文雄は2007年に刑務所を出所したと思われます。
全日空857便函館ハイジャック事件の犯人は、九津見文雄という男です。
九津見文雄の年齢・プロフィール顔画像
名前:九津見文雄(くつみ ふみお)
年齢:81歳(事件当時53歳)
職業:元銀行員(東洋信託銀行のシステム調査役)
住所:東京都大田区(当時)
出身:栃木県
1997年3月21日、懲役8年の実刑判決を受けます。
その後、弁護側が控訴し、1999年9月30日、懲役10年の判決を言い渡され刑が確定。
「未決勾留日数を刑期に含める」とあるため、判決が出るまでの約2年間も含めると、2007年には刑期を終え出所していると思われます。
出所したと思われる年齢は65歳。
しかし、九津見文雄の年齢は2023年には、81歳という年齢になりかなり高齢であるため、すでに死去している可能性もありますね。
九津見文雄は結婚していた!子供の現在は?
九津見文雄は1965年に妻と結婚しており、子供も3人いたようです。
- 妻(53)
- 長男(22)
- 次男(20)
- 長女(既婚)
妻との間に3人もの子供がいたため、それなりに夫婦仲は良かったと思われますね。
九津見文雄は事件を起こす2日前、妻へ離婚話を持ちかけてますが、
離婚の申し入れを拒否されていました。
理由は、財産分与などお金の関係によるものでした。
事件前から離婚の話が出ていたとのことから、おそらく妻との離婚は成立しているのではないかと考えられます。
現在は28年が経ち、子供も4,50代になりそれぞれ家庭をもっているのでしょう。
事件当時には、東京都大田区の自宅では、文雄・母・長男・次男の4人で暮らしていました。
長女は結婚し嫁いでいたため、親元を離れていたようですね。
愛人とも子供が
また九津見文雄は、1989年に仕事の接待で知り合った女性と親密になり、その彼女とも子供ができたそう。
事件2日前には妻に離婚話を切り出していた九津見。
その後、愛人の家に住もうと考えたのか、大田区の自宅からこの愛人の家に自分の荷物を運び出していました。
九津見文雄の結婚した妻、そして子供。さらには、愛人は誰なのかと言う情報は見つかりませんでした。
プライベートもありますし犯人と関わりがあると公開しないのは当然ですね。
2つの家庭を持ち、生活費の調達に追われるような日々になっていきます。
九津見文雄の経歴│事件の動機は愛人のため
九津見文雄は、東洋信託銀行の銀行マンとしてシステム調査役を務めていました。
エリート銀行員ということでかなり頭が良かったことでしょう。
1965年に結婚し子供も3人授かります。
その後、愛人との間にも子供が誕生。
2人の妻と4人の子どもを養うために、
- 信託銀行の行員
- 副業として業務実態のない会社を運営して裏金調達
という不安定で疲弊する日々を送るようになりました。
そんな時にバブルが崩壊し、勤務先に
「あの行員は愛人に子どもを産ませていて、怪しい会社経営の副業までしている」
と匿名の投書も届きます。
そんな日々に押さえつけられ自律神経失調症を発症。
肝機能障害や高脂血症も発症し、1994年10月からは休職扱いに。
多くの悩みを抱えた九津見文雄は、自殺を考えるようになり
「麻原彰晃を道連れに自殺して、世間から称賛されたい」
「自殺して生命保険で家族にお金を渡したい」
とし、オウム真理教を名乗り飛行機をハイジャック、麻原彰晃の開放を要求しました。
ハイジャックをした理由を聞くと家族のためにとあるように、九津見文雄は本当はすごく家族思いな優しい人物だったのではないかと感じました。
全日空857便ハイジャック事件を起こした翌日に東洋信託銀行を解雇されています。
勤務していた東洋信託銀行は事件解決直後に複数の新聞に謝罪広告を掲載し、6月末に開かれた株主総会でも社長が冒頭に頭を下げる場面があったといいます。
九津見文雄がハイジャック事件を起こした際、飛行機内にいた新人CAが1人で九津見文雄に立ち向かっていたようです。
全日空857便 函館ハイジャック事件の概要と真相
1995年6月21日、全日空857便函館ハイジャック事件が起きました。
これは奇しくもあの地下鉄サリン事件が起きた3か月後の事件でした。
羽田空有港から函館に向かう乗客365名を乗せた全日空857便のジャンボジェット機が、何者かにより16時間に渡り占拠されます。
犯人は”コバヤシ サブロウ”と名乗り、
「自分はオウム真理教の信者。サリンとプラスチック爆弾を持っている」
と言い乗客・乗員を脅迫します。
サリンと見られる液体入りの袋をドライバーで突き刺すまねをし、給油して東京に戻るよう要求。
その目的は、オウム真理教の教祖・麻原彰晃を釈放しろというものでした。
常に爆弾が入っているという袋を身に着けていたといいます。
犯人はキャビンアテンダントに向けて、乗客の目と口をテープでふさげと命令。
さらに犯人は「通路動いた人は前に出てこい、懲罰するから」と言っていたそう。
これを聞いた加藤登紀子さんら乗客たちは縮み上がったと話しています。
警察は突入を決意
当時北海道警察本部長だった伊達興治さんは「これが自分にとって最後の事件になる」と考え、道警機動隊員とSATを強行突入させることを決断。
突入のために、新千歳空港では同型機を使った突入シミュレーションも繰り返されました。
365名の乗客の命がかかっている重圧を物語っていますね。
犯人はニュースを確認、テレビ局に電話をしてきます。
「オウムと名乗った覚えはない」と。
最初と言っていることが違っており、これを聞いた道警の本部長は”いける”と確信。
給油を装った警察が飛行機の下に入り込むことに成功。
これにより、テレビ局にはこう通達がされました。
「飛行機の下の部分、タイヤあたりを映さないように。特に生中継のカメラでは映すな」
犯人はニュースをチェックしていたことから、警察が手を打ちます。
そこから生中継のカメラはコックピットだけを映すようになりました。
突入から確保
警察は機体の下からはしごを使い機内に侵入。
突入した機動隊員は犯人が通路側に向かって走ってくるのが分かり、犯人を広報に逃さないように通路を塞ぐ形で対峙します。
それでも向かってくる犯人に対し、犯人の腹部付近を制圧し取り押さえました。
突入から犯人逮捕までは、約数十秒という逮捕劇だったようです。
先頭を切って突入した機動隊員・穴澤勝史さんは、突入する前に後ろの機動隊員へ
「もし私になにかあっても、自分に構わず犯人に対応しろ」
と話したといいます。
勇敢な突入により犯人はすぐ確保され、乗客365人は1人が負傷したものの全員無事という結果でこの事件は幕を閉じました。
このハイジャック機への突入は、日本の警察史上初のことだったといいかなり慎重な対応だったようです。
加藤登紀子らも協力
ハイジャックの乗客にはシンガーソングライターの加藤登紀子さんやバックバンドメンバーの告井延隆さんらも乗っていました。
加藤登紀子さんのバックバンドメンバー告井延隆さんは携帯電話を持っており、警察への情報提供を決意します。
スポーツ新聞に携帯電話を包んでトイレに入るふりをして警察へ電話。
犯人の姿を見ると、服装は違うものの履いている靴が一緒なことに気づきます。
このことから警察は、服を着替え複数犯を装った単独犯と判断。
犯人の特徴や状態、機内の情報などを警察に伝えたことにより警察も突入の決断を可能にしました。
その後、北海道警察本部長から告井延隆さんへ感謝状が贈られています。
犯人と動機
逮捕された犯人は、オウム真理教とは全く関係のない当時53歳の銀行マンでした。
東洋信託銀行(三菱UFJ信託銀行)の男性行員でエリート銀行マンだったそうです。
犯人が持っていたのは1本のマイナスドライバーと、サリンに見せかけた水、偽のプラスチック爆弾を入れた袋のみ。
犯人の動機は、
「愛人との2重生活などで経済的に厳しくなり、麻原教祖を道連れに自殺することで愛人に保険金を残そうとした」
ということでした。
身勝手な犯行から事件から2年後の1997年に、懲役8年の判決。
弁護側が控訴しますが、1999年に1審判決(懲役8年)を破棄し、犯人に懲役10年の判決を言い渡しました。
その後上告は行なわれず、判決が確定。
さらに犯人には全日空から民事訴訟を起こされ、請求額通りの5300万円の損害賠償が命じられています。
その後
ちなみに、このときの機体は退役したものの、「NH857便」という便名は今も全日空で使用され、羽田空港発ノイバイ国際空港(ベトナム・ハノイ)行きの便となっています。
函館ハイジャック事件で間違い電話
また、当時テレビ中継をしていた札幌テレビではなんの関係もない男性へ間違い電話をかけていました。
函館の空港事務所との電話が繋がっていると日本テレビからきた電話を受け取った際、間違い電話により知らない男性が出てしまい放送事故になっています。
相手の男性も「は?」となっており、状況が理解できなかったことでしょう。
当時はかなり緊迫した状況だったと思いますが、今見ればこのやりとりが面白く感じますね笑