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奥田建人の現在と経歴!ニュージーランド地震日本人で足切断した生存者!【仰天ニュース】

こんにちは。

世界仰天ニュースで2011年に起きたニュージーランド地震が取り上げられます。

ニュージーランド地震では、クライストチャーチ地震とも呼ばれ日本人28人が犠牲になりました。

生存者は3人でしたが、その中で足を切断しつつ生存した奥田健人さん。

今回は、そんな奥田健人さんの現在や経歴や家族について調べてみました。

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ニュージーランド地震日本人で足切断した生存者

NZ地震、倒壊ビル設計士らの立件断念 日本人含む115人犠牲 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

2011年2月22日12時51分に、ニュージーランドで地震が起きました。

マグニチュードは6.1。死者は185人。

うち日本人留学生が28名亡くなりました。

そのほとんどが語学留学をしていた留学生だったようです。

 

しかしながら、被災をしたうち日本人3名が生存しました。

生存した3名の中で、足を切断しながらも生還した人物「奥田健人」さん。

奥田健人さんは、地震によりビルの倒壊に巻き込まれましたが、現場で右足を切断し救出されました。

そんな奥田健人さんがどんな人物なのか?現在や家族について調べてみました。

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奥田健人の経歴や現在と家族!【wikiプロフィール】

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奥田健人のプロフィール

名前:奥田健人

生年月日:1992年

年齢:32歳(2024年現在)

奥田健人さんは富山県立富山北部高校のサッカー部でキャプテンを務めるサッカー少年でした。

富山外国語専門学校に入り、語学留学としてニュージーランドで学んでいたところ、地震にあいます。

瓦礫に足を挟まれていたことから、右足を切断しながらも救出され生還しました。

同級生によると、奥田健人さんは”ひょうきんな性格”だそうで、明るくポジティブな青年です。

現在は富山市職員!

奥田健人さんは、富山外国語専門学校を卒業後、2012年4月2日に富山市職員として採用され現在も職員として活躍しています。

右足を失ってしまいましたが、義足を使いリハビリを乗り越え社会の一員として活躍できるまでに成長されました。

現在の写真画像などは見つかりませんでしたが、義足での生活をしながらも富山県のために貢献していらっしゃるのでしょう!

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家族

奥田健人さんの家族について分かっているのは、

  • 父親
  • 母親

がいることは分かっています。

奥田健人さんの母親は、被災し病院のベッドの上で撮られた写真を見て、奥田健人さんの明るさを再認識したようです。

asahi.com(朝日新聞社):救出された2学生「仲間を必ず助けて」 NZ地震 - ニュージーランド地震

クライストチャーチ市内の語学学校で被災し、23日朝に救出された奥田建人さん(19)の母親=富山市=は、ベッドの上で少しこわばった笑みを浮かべてピースサインをつくる息子の写真を見て、目に涙を浮かべた。「建人らしい。私たちを心配させないようにポーズを取ったんだと思います

引用:朝日新聞

また、被災直後に兄に電話をしています。

奥田さんから兄の携帯電話に連絡があったのは、22日午前9時半ごろ。がれきに足を挟まれている様子で「兄ちゃん助けて」「真っ暗で挟まっている」と訴えた。母親は23日午前5時半ごろ、本人からの電話で右足が切断されたと知り、言葉を失ったという。

残酷ではありますが電話を受け生きていることがわかっただけでも、良かったと言わざるを得ませんね。

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地震から救助まで

生きるという事 | プライベートジムオーナーが送るパーソナルトレーナー日記

被災当時、奥田健人さんの年齢は20歳。

富山外国語専門学校に入り、語学留学としてニュージーランドで学んでいました。

2011年2月22日12時51分、CTVビルで昼食を取っていたときに大きな揺れを感じます。

するといきなり足元の床ごと崩れ、体が落ちていきます。

気づいたときには辺りは真っ暗で何も見えません。

身体の感覚はあったものの、右足は動かないことから、何かに挟まれていることだけはわかったそう。

同じ階にいた同級生の升谷文香さんは、座った格好で、床と一緒に落ちていき足が内股のまま、正座のような姿勢でがれきの下に閉じこめられたそう。

海外留学の前に安全管理の責務の確認を NZカンタベリー地震9年|【西日本新聞me】

最初はパニックになり、周りからは「早く」「ヘルプ」「助けて」などの声が聞こえ、2人も叫びました。

すると、一緒に埋まった亀遊(きゆう)知子先生が「みんな落ち着いて」と声が。

余震が立て続けに起き、煙やガスの匂いも充満。

携帯電話がつながったため、奥田健人さんは兄に電話し、大使館へ連絡。先生も警察や家族に連絡します。

「長期戦になるかもしれないから体力を残そう」「みんなで生きて帰ろう」と励まし合い、気づけば救助が到着。

救助が進んでいることがわかり「助かる」と安堵の気持ちが強くなりますが、右足は動かないことに気付いていました。

救助隊が救助を試みますが、やはり右足が瓦礫に挟まれていることにより、右足を切断することに。

奥田さんは後に「覚悟はしていた。仕方がない」と語っています。

助けられた後は、一緒に閉じ込められた仲間たちも助けて欲しいと残し、病院へ送られました。

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まとめ

今回はニュージーランド地震で足を切断しながらも生還した奥田健人さんについて見てきました。

残念ながら足は失ってしまいましたが、命は助かり現在も富山市職員として活躍していました!

これからも活躍を応援しています!

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